反芻思考とは|思考が止まらない仕組みと、距離を取るための 3 つの方法
執筆 kokoro編集部・kokoro-link.com 編集部
何度考えても答えが出ないのに、同じ考えが戻ってくる。反芻思考と呼ばれる状態です。ただ、振り返りのすべてが反芻に当たるわけではありません。研究では、抑うつと強く結びつく考え方と、そうでない考え方が分けられています。この記事では、その違いと、止まらなくなる仕組み、そして距離を取るために試せることを整理します。
夜、電気を消して布団に入ったあと。昼間の会議で自分が言った一言が、頭のなかで再生されます。
「あの言い方はまずかった」「なんであんな返し方をしたんだろう」。もう一度考えれば何かが変わる気がして、考えます。けれど、たどり着く場所はいつも同じです。
人と会った帰りの電車で、相手の表情を何度も思い返してしまう方もいるでしょう。朝、目が覚めた瞬間には、もう続きが始まっているという方もいるかもしれません。
この止まらなさを、反芻思考と呼びます。この記事では、頭のなかで何が起きているのかと、距離を取るために試せることを整理します。
反芻思考とは
起きた出来事や自分の状態について、同じ考えを何度も向けてしまう状態。これを心理学では反芻思考と呼びます。考えている本人は、たいてい問題を解決しようとしています。そこが、この状態のややこしいところです。
反芻は、気分が落ち込んだときの反応のしかたのひとつとして研究されてきました。落ち込んだとき、散歩に出たり誰かに連絡したりする人がいます。一方で、落ち込んでいる自分そのものに注意を向け、その意味や原因を考え続ける人もいます。後者が反芻です。
考えと気分は、互いを引っぱり合います。国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センターは、強いストレスがかかると物事の受け取り方が狭くなり、その受け取り方がさらに気分を沈ませていく悪循環を説明しています。反芻は、この循環をひとりで回し続けている状態に近いものです。
循環に働きかける代表的な治療法が認知行動療法です。こころの耳では、「認知に働きかけて気分や行動を変化させることを目的とした短期の精神療法」と説明されています。
こんなときが、反芻かもしれません
- 同じ場面を、頭のなかで何度も再生している
- 「なぜ自分は」で始まる問いを、繰り返し立てている
- 考えている時間は長いのに、決まったことがひとつもない
- 考えるほど気分が沈み、それでもやめられない
- 人と話しているあいだも、頭の一部が別のことを回している
- 眠ろうとすると、決まって同じ後悔が戻ってくる
いくつも思い当たって、少し気持ちが重くなった方もいるかもしれません。これは、注意の向け方のクセです。クセである以上、変えられる部分があります。
振り返ることは、反芻なのでしょうか
ここで多くの方が引っかかります。反省したり、原因を考えたりするのは、むしろ必要なことのはずです。研究の答えははっきりしていて、振り返りのすべてが反芻に当たるわけではありません。同じ「考え続ける」でも、二つの型に分かれます。
Treynor さんたちが 2003 年に行った分析では、反芻を測る尺度から二つの成分が取り出されました。ひとつは brooding、くよくよ型です。理想と現在の差に注意を置いたまま、「どうして自分はこうなんだろう」と問い続けます。もうひとつが reflection、内省型です。何が起きたのかを分析し、次にどうするかを探ります。
抑うつとの結びつきは、この二つで大きく違いました。くよくよ型は抑うつと強く結びつき、内省型の結びつきは、はるかに弱いものでした。
日本でも同じ分かれ方が確認されています。西川大志さんたちが 2013 年に心理学研究へ発表した調査では、大学生 183 名、うち男性 96 名を対象に、反芻がどう抑うつへつながるかの経路が調べられました。くよくよ型は否定的な自動思考を増やし、そこから抑うつを重くしていました。内省型は逆で、肯定的な自動思考を増やし、抑うつを軽くする方向に働いていました。
同じ「考える」でも、向かう先が反対だったわけです。
見分ける目安は、問いの形にあります。「なぜ」で始まる問いばかりが出てくるなら、くよくよ型に寄った状態です。「次はどうするか」まで進んでいるなら、内省型に近いところにいます。
とはいえ、渦中でこの区別をつけるのは難しいものです。くよくよ型か内省型かを見分けるには、その前に「いま自分は何を感じているのか」がある程度つかめている必要があります。そこでつまずいている感覚があるなら、自分の感情がわからない状態の原因と手がかりを書いた記事のほうが先です。
反省をやめる必要はありません。変えられるのは、何を考えるかではなく、どう考えるかです。
夜、布団に入ってから止まらなくなる
昼間はそこまででもないのに、夜だけひどくなる。そう感じている方は多いはずです。理由は、注意の行き先にあります。日中は仕事や人とのやりとりが注意を持っていってくれます。それが全部なくなったあと、注意は行き先を失って、内側に戻ってきます。
止まらなさには、問いの立て方も効いてきます。反芻の中心にあるのは「なぜ」です。なぜあんなことを言ったのか、なぜ自分だけうまくいかないのか。この形の問いは、答えが出たかどうかを判定できません。出口のない廊下を歩くのに似ています。
「どうやって」に変えると、事情が変わります。明日どう切り出すか、次の会議で何を先に言うか。こちらは答えが出れば止まります。行動に落ちるからです。
放っておくとどうなるのかも、分かってきています。Nolen-Hoeksema さんたちが 2008 年にまとめた総説では、反芻がうつ病の発症を予測すると報告されています。影響はうつ病だけにとどまらず、不安や過食、自傷といった別の問題にも広がっていきます。落ち込んだあとに反芻する人ほど、その落ち込みが長く、深くなるという指摘です。
反芻が続くと、やがて「何をしても同じだ」という感覚に変わっていくことがあります。考えても変わらない経験が積み上がると、動くこと自体をやめてしまいます。考えるのはやめないのに、動けない。そこまで来ている感覚があるなら、「どうせ無駄だ」と感じて動けなくなる仕組みを書いた記事で、そこから戻る道筋まで扱っています。
夜が来るたび同じところへ戻ってしまうのは、意志の強さとは別のところで起きます。注意が、空いた場所へ流れ込むだけのことです。
心配ごととは、何が違うのでしょうか
どちらも頭のなかで同じことが回り続けます。違うのは、時間の向きです。反芻は過去に起きたことへ向かい、心配はまだ起きていないことへ向かいます。
「あのとき、ああ言えばよかった」は反芻です。「明日の面談で詰められたらどうしよう」は心配です。二つはよく同居しますし、同じ人のなかで交代もします。それでも、扱い方を決めるときには分けておくと役に立ちます。過去の出来事は変えられませんが、これから起きることには準備ができるからです。
混ざりやすいものが、あと二つあります。
ひとつは侵入思考です。意図と関係なく、突然浮かんでくる不快な考えを指します。浮かぶこと自体は、特別なことではありません。反芻は、浮かんだものを握って考え続けるほうの動きです。
もうひとつが、強迫性障害の強迫観念です。こちらは、不安を打ち消すための行動とセットで現れます。手を洗う、確認しに戻る、頭のなかで決まった言葉を唱える。反芻には、この打ち消し行動に当たるものがはっきりありません。思考の反復そのものが続きます。
どれに当たるかで、試すことが変わります。では、反芻しやすさそのものは、どこから来るのでしょうか。
「考えすぎ」と言われても、止められない
「考えすぎだよ」と言われて止まった人は、ほとんどいないはずです。反芻しやすさは、性格の弱さというより、いくつかの条件が重なって出てきます。
よく聞くのが、反芻は女性のもの、という見方です。Johnson さんと Whisman さんが 2013 年にまとめたメタ分析は、59 件の研究、合わせて 14,321 人ぶんのデータからこれを検討しました。たしかに女性のほうが高く出ました。ただし差は小さく、著者たち自身が「小さい効果量の範囲に収まる」と評価しています。
体感に置き換えると、こうなります。同じ職場の男性と女性を並べて、どちらがより反芻しているかを当てられるほどの差ではありません。平均としては女性がやや高い、という程度のものです。
むしろ、日本の職場を見ると、話は逆を向きます。新田さんたちが 2025 年に発表した研究計画は、うつ病で休職したあと復職した人のうち、47.1% がもう一度休職に入っているという数字を挙げています。復職した 2 人のうち 1 人に近い割合です。そして、休職を繰り返す日本人男性に特徴的な行動として反芻が挙げられていると書いています。過去のこと、これから先のこと、そして自分自身について、繰り返し考える型です。
「弱音を吐かずに、こっそり立て直したい」。そう考える人ほど、この型に入りやすいのかもしれません。人に話せば外に出ていく考えが、話さないぶん、頭のなかを回り続けます。「これは疲れなのか、それとももっと手前で何かが減っているのか」という問いには、真面目に働いてきた人がなぜ消耗するのかを書いた記事で答えました。
背景には、育ってきた環境も関わります。失敗すると空気が変わる家。そういう場所で育つと、「何がまずかったのか」を先回りして点検する習慣が身につきます。子どものころは、それが安全を確保する現実的なやり方でした。大人になって環境が変わっても、点検の習慣だけが残ることがあります。
ただ、ここは誤解されやすいところです。育った環境の影響を見にいくことと、親を責めることは、別の作業です。点検の習慣がどこで身についたのかが分かっても、それで誰かの責任が決まるわけではありません。分かるのは、そのやり方がいまの自分の生活に合っているかどうか。合っていないなら、いまに合わせて調整していけます。このあたりを正面から扱ったのが、育った家庭と生きづらさのつながりを書いた記事です。
点検の矛先が自分だけに向き続けると、自分への評価そのものが下がっていきます。その下がり方の背景は、自己肯定感が低くなる原因に整理しました。
反芻しやすい人は、たいてい真面目です。手を抜けないから、点検が終わりません。
距離を取るために、試せること
「考えるのをやめよう」と決めても、まず止まりません。的が少しずれているからです。研究が積み上げてきたのは、考えを止める方法ではなく、考えの向かう先を変える方法でした。ここでは三つを、確からしさの違いも添えて並べます。
ひとつめは、「なぜ」を「どうやって」に置き換えることです。
反芻のなかで立っている問いは、抽象的です。「なぜ自分はこうなのか」には、確かめようがありません。これを、その場面で実際に何が起きたのかまで下ろします。誰がいて、何と言われて、自分はどう返したのか。映像を思い出すように、細かいところまで。
Watkins さんと Moberly さんが 2009 年に行った予備研究では、この具体化の練習をした群で、抑うつの得点が 24.5 から 13.4 まで下がりました。比較のためにリラックス法だけを行った群は、23.0 から 17.2 でした。半分近く下がった群と、2 割強にとどまった群の差です。ただし参加者は 39 人で、うつ病の診断がついた人たちではありません。見込みを確かめる段階の研究として読むのが妥当です。
ふたつめは、考えるより先に、行動を動かすことです。
意外に思われるかもしれませんが、認知行動療法の標準的な進め方でも、考えを扱う作業は後半に置かれています。前半に来るのは、一週間の行動と気分を記録して、どんなときに気分が動くかを見ることです。そこから、気分が上向いた行動を少しずつ増やしていきます。順番が先に行動なのは、考えを整えてから動こうとすると、いつまでも動けないからです。全体の流れをもう少し具体的に知りたい方には、認知行動療法のやり方と受け方を別の記事で順を追って書きました。
みっつめは、反芻そのものを的にした治療を受けることです。
反芻に的を絞った認知行動療法があります。Watkins さんたちが 2011 年に行った試験では、うつ病の症状が残ったままの 42 人を二群に分けました。片方には通常の治療を、もう片方には通常の治療に加えて、反芻に的を絞った面接を最大 12 回行っています。症状が治まった人の割合は、通常の治療だけで 21%、面接を加えた群で 62% でした。5 人に 1 人と、3 人に 2 人の差です。しかもこの差は、反芻がどれだけ減ったかで説明がつきました。
日本で、この形の面接を受けられる場所はまだ多くありません。それでも、ひとつめとふたつめは、ひとりでも始められます。
では、いつ相談する側に回るか。眠れない日が続いている、食欲が落ちた、仕事や家事が回らなくなってきた。このあたりが重なっているなら、反芻の対処より先に、医療機関で状態を診てもらうほうが早いことがあります。考えが「消えてしまいたい」の方向へ向かうときは、厚生労働省のまもろうよ こころに、24 時間つながる窓口がまとめられています。
反芻しているあいだ、頭は止まっているわけではありません。同じ材料を何度も検討し続けるだけの力が、そこで働いています。その力が「なぜ自分は」に向かうと、夜が明けるまで終わりません。「明日どう切り出すか」に向かえば、十分ほどで片がつきます。使っている力は、どちらも同じです。
目標は、ぐるぐるをゼロにすることではありません。三時間止まらなかった夜が、二十分で切り上げられる夜に変わります。その積み重ねが効いてきます。
数えるとしたら、何周したかより、何分で気づけたか。
Frequently Asked
よくある質問
反芻思考は病気ですか。病院に行く目安はありますか。
反芻思考そのものは病名ではありません。落ち込んだときの考え方のクセのひとつとして研究されてきたもので、程度の差はあれ誰にでも起こります。ただし、反芻が長く続くとうつ病の発症につながることが報告されています。目安になるのは、考え込みの多さそのものよりも、生活のほうです。眠れない日が続いている、食欲が落ちた、仕事や家事が回らなくなってきた。このあたりが二週間ほど重なっているなら、反芻の対処を工夫する前に、医療機関で状態を診てもらうほうが早いことがあります。「消えてしまいたい」という考えが出てきているときは、その日のうちに相談窓口につながってください。厚生労働省の「まもろうよ こころ」に、24 時間受け付けている窓口がまとめられています。
「もう考えない」と決めれば、止まりますか。
ほとんどの場合、止まりません。考えないようにするという指示は、何を考えないかを頭のなかで確認し続ける作業になるため、かえってその内容に注意が向きます。研究で効果が確かめられてきたのは、考えるのを止める方向の工夫ではありません。考えの向かう先を置き換える方向の工夫です。「なぜこうなったのか」という抽象的な問いから、「明日どう切り出すか」という具体的な問いへ移す。あるいは、考えを整理し終える前に行動のほうを先に動かす。どちらも、止めようとする代わりに、注意の行き先を用意する工夫だと考えると分かりやすいかもしれません。
反芻思考と強迫性障害の強迫観念は、同じものですか。
別のものとして扱われています。いちばんの違いは、打ち消すための行動があるかどうかです。強迫観念は、不安を打ち消す決まった行動とセットで現れます。手を洗う、鍵を確認しに戻る、頭のなかで特定の言葉を唱える。こうした行動をとると不安が一時的に下がり、その下がり方が行動をさらに強めていきます。反芻には、これに当たるはっきりした打ち消し行動がありません。考えることそのものが繰り返されます。とはいえ、両方が同時に起きている方もいます。判断に迷うときは、自分で切り分けようとせず、精神科や心療内科で相談するのが確実です。
考えたことを書き出すのは、かえって反芻を強めませんか。
書き方によります。「どうして自分はこうなのか」を紙の上で繰り返すだけなら、頭のなかでやっていることを、場所を変えて続けているのに近くなります。反対に、その場面で実際に何が起きたのかを具体的に書き出す方向なら、反芻から離れる働きが期待できます。誰がいて、何と言われて、自分はどう返したのか。時間と順番に沿って書いていくと、抽象的な問いに戻りにくくなります。認知行動療法で使う記録も、気分そのものを書き連ねる形はとりません。いつ何をしていたかと、そのときの気分を並べて見る形です。
反芻思考は、完全になくせますか。
なくすことを目標にしなくて大丈夫です。考えが同じところに戻ること自体は、誰の頭でも起こります。研究で目指されているのも、反芻をゼロにすることではありません。反芻に入ったあと、そこから戻ってこられるまでの時間を短くすることです。入り込んでいることに気づくのが早くなるほど、同じ一日でも消耗の量が変わります。むしろ、うまく止められた回数を数えて自分を採点しはじめると、それ自体が新しい反芻の材料になります。できなかった日があっても、そこは通り過ぎて構いません。
References
参考文献
Colophon / 執筆と監修
Written by
kokoro編集部
kokoro-link.com 編集部
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